The Six Elements and Causal Relations Among Them (from Computers as Theater)
The Six Elements and Causal Relations Among Them (from Computers as Theater), 1991
The New Media Reader, pp.563-571
日本語版書籍
ブレンダローレル「劇場としてのコンピュータ」(訳遠山峻征、トッパン、1992/11)
国立国会図書館リサーチ
Introduction
1991年、ブレンダローレルはアリストテレスの演劇論を用いてヒューマン=コンピュータ・アクティビティを理解することを提唱した。演劇の要素がどのようにヒューマン=コンピュータ・アクティビティに適用されるかについての洞察を与えている。 本文要約
アリストテレスの、(および他の文学形式)に対する基本的な考え方の一つは、出来上がった演劇を < 有機的全体 > とするものである。彼が<有機的>という言葉を使ったのは、生物との類似を喚起するためだった。生物の体全体が単なる部分の集まり以上のものである限り、その部分はすべて生きていくために必要であり、また,部分どうしは互いに関連を持っていることが必要である。
このようにヒューマン=コンピュータ・アクティビィにおいても要素をそれぞれ独立的に作用せせるのではなく、体系的に作用させる必要がある。
表1.1と図1.2は演劇とヒューマン=コンピュータ・アクティビィの質的構造の要素を体系的に分類したものである。れぞれの要素はその下の要素の形相因であり、それぞれがその上の質料因担っている。 下から順番に要素を追っていくと、それぞれのレ ルの細かい点がそのレベルが提供した材料にうまく連続<具体化>しているか見ることができる。次の各セクションでは、下から順番にそれぞれの要素の定義を発展させていく。
https://gyazo.com/c44798ea40a3c6d06a26b929be439d69
https://gyazo.com/7fba439accde61b3530d16edd75c0bc1
演技(スペクタクル)
アリストテレスは劇の基本的要素を「スペクタクル」ー見られるもの全てーとして述べている。演劇全体がが潜在的に全ての感覚を含んでいることに着目し、ヒューマン=コンピュータ・アクティビティにおいても、五感を用いた感覚現象は基本的な材料になることを提唱している。
パターン
感覚的現象におけるパターンの知覚は、人間にとって喜びの源であり,アリストテレスは劇の二つ目の要素を「メロディ」という音の領域におけるパターンの一種と説明している。
このパターンという要素は演技の感覚的現象の聴覚に関連している。アリストテレスはパターンを、言語の材料とし てだけでなく、「快いアクセサリー」ともしている。そういうわけで、喜びの源としてのパターンの使用は、 劇的表現の特徴であり、ヒューマン=コンピュータ・エクスペリエンスの領域にも無理なく拡張すること ができる。
言葉
劇における<言葉>(通常セリフと訳される)の要素は、アリストテレスによって「言葉を使って人物の考えを表すこと」と定義されるそのために、話し言葉を記号のシステムとして使うとき、それは身振りや、色や、 舞台上での要素や、パラ言語的な要素として(抑揚のパターンなどの声の調子)のような他の演劇的な記号と区別される。そこでローレルはヒューマン=コンピュータ・アクティビティにおいて、画像表示やシンボル、言葉以外の音、そしてアニメー ション・シークエンスは、言葉の代わりにコンピュータと人間の間のはっきりしたコミュニケーション手段として使われるようになるかもしれないと提案した。
思考
劇における<思考>の要素は、登場人物の選択や行動を導くプロセスとして定義される。そして思考はその人物の選択や行動から、観客と他の登場人物の両方によって<推測>される。この思考の定義を拡張して、ヒューマン=コンピュータ・アクティビティもその中に含めると、コンピュータは思考が推測される表現を行えばコンピュータは考えていると認識される。
キャラクターとエージェント(代理)性
アリストテレスは、劇の<対象>(つまり、模倣の対象となるもの)は人物ではなく、行為であると主張している。キャラクターは行為によってのみ形づけられるのだ。
全体としての行動
アリストテレスの<有機的全体>について触れており、いくつかの出来事は密接に関 係づけられているので、どれか一つでも移動させたり取り除いたりすると、全体がバラバラになり、混乱してしまうと述べている。
「参考文献」
ブレンダ・ローレル 「劇場としてのコンピュータ」訳遠山峻征,トッパン,1992